沖縄でアパート建築ならキャリア・プラン

中本会長インタビュー

中本会長は熊本出身と聞いておりますが、沖縄との関わりを教えてください。

中本会長
沖縄に来たのは昭和50年、海洋博の開幕前です。当時、大栄設計という熊本にある会社に勤務してましが、那覇防衛施設局(現沖縄防衛局)での受注で沖縄の営業所に赴任しました。これが私の沖縄でのスタートです。

当初は、防衛省の仕事ですから、嘉手納基地内の仕事の管理をしていました。熊谷組、大成建設など、大手ゼネコンの仕事を設計・管理する仕事で、現場で監督指導していました。工事現場の現場監督を指導する監督業務といった方がわかりやすいかもしれません。

今、沖縄に根を下ろして事業をしていますが、そのきっかけや動機は。

中本会長
知念村の村長をやっていた方が社長で、私が専務を務め、沖縄大栄設計という沖縄と熊本の現地法人をつくりました。その立場でやらせて頂いて、業績は上がっていきましたが、受注したお金の一部が内地に持っていかれる。そのことが元知念村長としては、許しがたいこということでした。

徐々に亀裂が入っていきました。私としてもそれは正しいことだと思い、大栄設計を退職しました。昭和58年に独立。これが、私が沖縄での関わりと、沖縄に根を下ろしたきっかけです。

沖縄で起業したとき、苦労も多かったと思います。その当時の話しを聞かせてください。

昭和58年に、巨設計集団という設計事務所を設立しましたが、この当時が一番苦労したと思います。起業したその当時、結婚もしていて、妻は大阪出身。ふたりともナイチャーです。周りには、親戚や身内もいませんし、知り合いも少なく頼る人はもちろんいなかったので、大変な時期でした。

「あなた達は、儲かれば内地に帰っていくよね。」ということをよく言われていました。私どもの設計を受託するには「地元の設計会社を保証人に入れなさい」という条件がつきました。つまり信用がなかったのです。当時、会社は社員3名と小さな会社でした。信用も知り合いもいないので紹介での仕事も無い。厳しい経営をしていました。DMとか飛び込み営業しながら「仕事ないですか?」と営業していましたが、まったく仕事がなかったですね。

その後、ある会社のビル第一号を我々の会社が設計しました。仕事が無くて、苦労していた時期だったので、一番大きい受注案件となりました。9階建てのテナントビルの建物でした。忘れられない思い出深い仕事です。あと、米軍基地のトリイからハンセンなど全ての基地に出入りができていたので、通信所など基地内の設計業務をして、しのいでいましたね。

思い出深い仕事や、印象に残っているエピソードなどがあれば教えてください。

中本会長
私が34才くらいの頃だったと思いますが、琉球ガラス村のプロジェクトはとても印象に残っています。「糸満をテーマに建築して欲しい」と漠然としたテーマで、構想に一年かかりました。たしか7業態だったとおもいますが、小さい工房が集まってつくった組織体でした。

毎週打ち合わせしましたが、職人の集まりですから個性もあり意見が分かれます。さらに糸満というざっくりとしたテーマですから、糸満漁港とか糸満市内をブラブラしながら視察ました。ですが、なかなかテーマに合うコンセプトが決まりませでした・・。

ある時、糸満の一番南の摩文仁の丘から山並みの稜線を見て「これだな!」と閃きました。今の琉球ガラス村の原型というか、3次元の世界ですから、どこにポイントがあるのか分からないです。なので、工事は非常に大変でした。

受注は國場組さんでしたが、施工ができないということで、施工できるように設計側で対応するなど試行錯誤のプロジェクトでした。あと、浦添市城間にあったピザハウス(現在、建て直されてます)ですね。南フランス風の建物で、当時の沖縄にはあまり見たことない建物だったと思います。

設計事務所からスタートして、建築の施工、管理と事業を広げていますが、その経緯や理由があったと思いますが。

キャリアプラン21は、平成9年に立ち上げました。その時は、巨設計の社長をやりながら、ひとりで建築の営業をしていました。夕方から現地に出向き、飛び込み営業をしていました。これがキャリアプラン21のスタートです。土地を持っている地主さんに企画をして「土地を活用しませんか?」と毎日、飛び込み営業をしていました。お客さんから、「仕様を見てみたいな?」といわれても、設計事務所なのでプランはすぐ出せます。概算も、事業計画書も出せました。

あの当時は、一日、60から70軒は回ったと思います。最初は、沖縄市の美里付近を中心に、車を部落の真ん中に停めて、近隣の地主さん宅をずっと歩き回り訪問していました。キャリアプラン21という営業の企画会社を持っていましたが、当時、ゼネコンも工事をせず受注契約だけ、ハード部分は地元建設会社が工事をしていました。また、取ってきた仕事は、巨設計で設計しますので、業績はよかったです。その当時で、社員が9名くらいだったと思います。

そうこうするうちに、私も相当な営業力が身につけていて、かなり稼いでいました。もともと営業は好きでしたが、自己流で営業の勉強をしていました。同業社の飛び込み営業のビデオを見て、研究もしてました。なるほど、このようなやり方で営業するんだなと。東京のセミナーにも2回ほど行きました。私の場合、設計ができるので現場のこともわかり、とても 営業がやりやすかったと思います。「セールスエンジニア」といった方がわかりやすですね。

社名の「キャリア・プラン」について

キャリア・プラン
プラン(企画や提案)とキャリア(実績)を作る・重ねていくということでの社名を「キャリ ア・プラン」にしました。あの当時、○○組とか、○○建設、とかが多かったのですが、やっぱりそうではなくて、新しい時代に向けて、進んでいくためにこの社名に決めました。

平成10年に、個人で立ち上げたキャリアプラン21を有限会社キャリア・プランに変更。それから、平成12年に、株式会社キャリア・プランに変更しました。その年から、ハード部分の施工をやることになりました。

市場も需要も自分たちで作っていく

中本会長
当時、沖縄でこの業態の建築業は珍しかったと思います。大東建託さんぐらいだったと思います。他の県内大手さんもやってなかったですから。自ら飛び込んでいけば掘り起こしできますよね。紹介に頼ることなく自分たちで道を作っていくことが一番優先だと思っていました。

私が県外から来た「ナイチャー」であったので、ここ沖縄で頼る人がいません。同級生もいませんし、親戚もいません。だから突き進むしか道が無かったですね。

事業も成長し社員も増えていくと、転機やピンチもあったと思います。どう乗り越えましたか。

本社が平成14年完成しました。この近くに巨設計集団の事務所があり、キャリア・プランと合同で仕事をして、どんどん人が増えていきました。社員が増えてくると、私の仕事もやることが多くなり、社員教育から会社のビジョン浸透など取り組むことが多くなっていきました。まず、教育に関しては、経営理念の唱和から始まり、いろんな教訓を話します。

また、私も率先して毎日違った話をしています。例えば、「いま、こういう時代だからこうした方がいい」「スピードが大事。なぜなら・・」といったことを毎朝、話しています。社員が一番多いときで、60名ほどになっていました。人がどんどん増えていくと、沖縄本島だけでは経営が厳しいのではないかと考えるようになり、そこで考えたのが、石垣と熊本です。石垣支店と熊本支店をつくって、そこに人を置き仕事を受注していこうかと。

当時、ミニブームでしたから石垣の建築需要はすごかったです。熊本も37棟ほど仕事がありました。人も増え、営業エリアも増えたので、私はマネージメントすることが多くなりました。当然、離島にいったり、熊本にいったりと。熊本支店には、アパートを借りて月に10日間ほど滞在していました。

商圏エリアの拡張が、基幹となる本社がピンチに。

石垣、熊本と支店を増やしたことで、私が本社から離れることが自然と多くなりました。すると、キャリア・プランの本社がどんどんと衰退していったのです。私にとっては予期せぬ非常事態。厳しい現実でした。リーマンショック以来、マーケットの変動が非常に激しく、中途半端な施策では対処できないと判断して、熊本支店を引き上げました。

そしてここ本社に集中して立て直しを図りました。全力で。大きな決断でしたが、企業人として生きるか死ぬか、勝つか負けるかしかなかったです。その思いでの経営判断でした。たいへんでしたが、なんとかこの苦難を乗り越えることができました。

その困難を乗り越えて、新しい試みや新商品の開発など、積極的に取り組んだと聞いていますが。

中本会長そうですね。新商品もいくつか作っていかないと、時代のニーズに乗れません。たしか8つくらい新商品をつくったと思います。外観や間取りなどのデザインがこれまでとは違う構造にしてみたり、意匠的にエントランス部分を改善するなど、私が率先して新商品開発に取り組んでいきました。

私自身が、自分でプランも立てられますし、図面も書けるので、社長がモノづくりできるというのは、会社として大きいです。今でも設計の現場に関わっていますし、図面のチェックもしています。商業店舗などでは、今でもデザインをしますし、設計にも関わっています。はい、まだまだ現役です。
私がまだ現役で、現場に関わっていることもあり、キャリア・プランは、構造計算からCG、営業、施工管理まで、一括管理しています。

ですからスピードでは負けないと思っていますし、県内で一番だと思います。満足できるまで徹底的に自力で開発します。社員もスピード力は他社に負けないと自負しています。

また、以前は銀行から融資を受けながら事業や建築物件のやり繰りしていましたが、それではいけないと気付き、弊社に足りない工事部隊を立ち上げました。ワンストップで、全て自前でできます。どこにも頼らなくていい。これも我々の強みとなっています。

実績も積み上げ、業績も評価され安定経営されているようですが、経営で心がけていることは。

そ以前、銀行からの資金調達がうまくいかず、事業に影響がでてしまい厳しい状況になったことがありました。財務は経営の基盤であること、体験をもって学びましたね。その経験から、銀行に頼らない経営にかなり力を入れて取り組みました。

おかげで、その後から銀行からの融資に頼らないキャッシュフロー経営をしています。借金・借り入れはしない。自前で全て運営すると決めています。22年経った今も、銀行からの融資、借り入れをしたことはありません。県内ではあまりいないと思います。キャッシュフローを維持しつつ、設計と施工の強みが一致しないと続かないのです。

それともうひとつ心がけていることが「無理をしない」ということです。世の中、分譲マンションのブームで、本土からM&Aの紹介もあり視察にも行きました。その会社を利用して分譲マンション販売も考えたのですが、やっぱり身の丈にあった経営をしていかないといけないと思い左右されないでいこうと決めました。

確かに、挑戦になるかもしれませんが、急激に発展すれば、外部環境しだいで急激に経営は落ち込んだりします。リスクも大きいです。地道に、地域に密着する仕事が、もっとも安定して 業が生き残ることができる術だと思っています。

次のステップ、チャレンジしている事業や商品はありますか。

中本会長今、チャレンジしていることは、同じ仕事の内容で「質と形を変えていく」ことをやっています。世の中、好景気ですが、建築業界はピーク時から40%ダウンしています。もっと下がっていく可能性もあります。その下がった時点であれこれと施策を打ってもやってもしょうがない。力があるうちに備えて行こうと考えて動いています。

1つ目が「分割」です。今、銀行の融資が厳しくなってきています。土地から買うと10%の自己資金が必要。土地を持っていても5%の自己資金が必要です。入り口の方からはられてしまいますから2ヶ月前までは 大丈夫だったのが、今では駄目。市場のニーズを考えると融資がしやすい案件を考えていく必要がある。(具体的な分割例)仮に土地が100坪とすると、2つに分けて50坪ずつにするわけです。お客さまは2人になりますよね。元は一緒でも、リスク分散になります。大きければ3等分にもなりお客さまも3人になります。

2つ目が「低層」です。低層の住居やアパート建築のことです。なぜ低層かというと坪単価が安い。用途地域によって容積率が低いと安い。安い土地を買って、2階建てを作って行こうという企画です。

最後の3つ目が「選択」です。木造とRCでは単価が違います。収支が厳しいようでしたら木造で、収支に合うならRCを。選択肢を増やした企画・設計でお客様のニーズに対応したいと考えています。

といった3つの取り組みで、将来に向けてプロジェクトを進めています。今、グループ会社含めて社員が52名。先に手を打っていかないと、世の中変わっていきますから。手遅れにならないようにと、チャレンジ精神で、頑張っております。

社長業と別に、個人的にやってみたいことなどありますか。

10月7日から四国霊場八十八ヶ所巡礼に行くことを決めています。悟りというか、33年間社長として今までやってきてずっと休めなかったので、一度立ち返ってみようと思って。12,600キロを歩き抜いて、雑念を払って次のステップに行きたいと思っています。

中本会長

中本会長インタビューは以上です。お時間ありがとうございました。
(取材日)2019年9月20日(金)

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